「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ 手紙 4・2―3) 「あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。 悪魔に機会を与えないようにしなさい。 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを愛してくださったように、互いに赦し合いなさい」(同 25―32) 「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい」(同 5・8) 「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」(同 9) 「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい」(テモテ 手紙Ⅰ 6・11) 「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(同 17) 「人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように」(同 18) 「まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように」(同 19) 「主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう」(テモテ 手紙Ⅱ 2・24―25) 「揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。 こうして、私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです」(ヘブル 12・28) 「気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう努めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべてのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ 手紙Ⅰ 5・14―18) 「御霊を消してはなりません。 預言をないがしろにしてはいけません。 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 悪はどんな悪でも避けなさい」(同 19―22) 「さまざまな試練に会うときは、それをこの上ない喜びと思いなさい」(ヤコブ 手紙 1・2) 「知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい」(同 3・13) 「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(同 4・7―8) 「苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい」(同 5・13) 「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい」(ペテロ 手紙Ⅰ 2.17) 「あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい」(同 3・8―9) 「あなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになる」(同 4・2) 「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」(同 7―8) 「互いに親切にもてなし合いなさい。 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(同 9―10) 「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい」(同 11) 「神のみこごろに従ってなお苦しみにあっている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造主に自分のたましいをお任せしなさい」(同 19) 「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利益を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい」(同 5・2) 「群れの模範となりなさい」(同 3) 「みな互いに謙遜を身に着けなさい」(同 5) 「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい」(同 6) 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」(同 7) 「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」(ペテロ 手紙Ⅱ 1・5―7) このように〈御霊による啓示〉は〈善きことを行なうため〉に与えられました。 〈神の御心にかなうために〉です。 〈苦しみの時には祈り、喜びの時には賛美する〉のです。 〈人間の欲望のためではなく、神の御心のために生きる〉のです。 〈律法〉は〈私の契約を守るなら〉ば〈私の宝となる。聖なる国民となる〉です。(出エジプト記 19・5―6より) また、〈私が約束したこの地を全て与え、永久にこれを相続地とする〉です。(同 32・13より) 「あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行なう人は、それによって生きる」(レビ記 18・5) 「あなたがたは聖なる者とならなければならない」(同 19・2) 「いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして彼らも、その子孫も、永久に幸せになるように」(申命記 5・29) 「あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである」(同 5・33) 〈律法を守ること〉が〈罪を犯さないため〉であって、〈神の御心を行なうため、善を行なうため〉ではないことは、次のものに示されています。 「包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない」(創世記 17・14) 「職人の手のわざである、主の忌みきらわれる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる」 「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる」 「隣人の地境を移すものはのろわれる」 「盲人にまちがった道を教える者はのろわれる」 「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる」 「父の妻と寝る者は、自分の父の恥をさらすのであるから、のろわれる」 「どんな獣とも寝る者はのろわれる」 「父の娘であれ、母の娘であれ、自分の姉妹と寝る者はのろわれる」 「自分の妻の母と寝る者はのろわれる」 「ひそかに隣人を打ち殺す者はのろわれる」 わいろを受け取り、人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる」 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる」 (申命記 27・15―26) 「あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、わたしが、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、(中略)すべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる」(同 15) 〈律法〉は〈行なわなければならないこと、守らなければならないこと〉を示していたのです。 「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、(中略)すべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される」(同 28・2) 〈祝福〉となって、初めて世の中を良くすることにもつながります。 〈神の呪いや怒りを避けるため〉では、〈神の御心を行なうこと〉にはつながりません。 「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(創世記 17・1) 「あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない」(申命記 10・16) 「みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」 (同 18) 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(同 6・5) 「復讐してはならない。あなたの国の人を恨んではならない」(レビ記 19・18) 「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(同) 「あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのように愛しなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい」(同 19・34) これらだけは、さらなる向上への道へつながるものと言えるでしょう。 「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記 22・18) これによって、他の民族への祝福が与えられることが示されています。 御霊の啓示は〈すべての人に対して、いつも善を行なうよう努めなさい〉となりました。 さて、イエス・キリストが地上の生命を失ったのには、〈模範を示すため〉と〈御霊を来させるため〉の他にも理由があったのかも知れません。 「それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。 その霊において、キリストは捕らわれの霊たちにところに行ってみことばを宣べられたのです」 (ペテロ 手紙Ⅰ 4・18―19) 「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした」(同 4・6) イエス・キリストは、《復活》までの間に〈霊として捕らわれの霊たちの元を訪れて福音を伝えた〉とされるのです。 「ハリストスよ、爾は地獄に降り、繋がれし者を籠むる世世の鎖とざしを破り、三日にして、イオナが鯨より出いでし如く、墓より復活せり」 ( 正教会の祈祷文(五旬経)、復活大祭 早課 規程 第六歌頌 イルモス(ダマスコのイオアンによる)) 「ハリストスよ、爾は体にて墓に在り、靈たましいにて神として地獄に在り、盗賊と偕ともに楽園に在り、父及び聖神と偕に寶座(ほうざ)に在りて、一切を満て給へり」 ( 正教会の祈祷文(八調経)、第四調、早課の主日の規程、第一歌頌(ダマスコのイオアンによる)) “爾は地獄に降り、繋がれし者を鎖を破り”、“魂にて神として地獄に在り”とあります。 聖書外典でも 「天から声が聞こえた、 『あなたは冥府で眠っている人々にも宣教しましたか』 すると十字架が答えて、『はい』と言うのが聞こえた」(ペテロ福音書 10・41―42) 『ニコデモ福音書』では、洗礼者ヨハネは「イエスが来られる。彼にお会いしたら、みなで礼拝しなさい。地上で犯した罪を悔い改められる唯一の機会である」と説き、イエス・キリストがその光で冥府の扉を崩し、天使たちと共にやって来て、アダムとエヴァ、その他の冥府に鎖でつながれていた義人たちの魂を解放したとされているそうです。 中世には 「われを通る者は永遠の苦患にいたる」 「われより以前に 創られたものなくわれは永久に存在する」 「われを入るものは一切の希望を捨てよ」 (『神曲物語』 ダンテ 原作 野上素一 訳著 現代教養文庫 社会思想社 地獄篇 第三歌 P13より) という言葉が頂きに刻まれている地獄の門が 「扉の毀れた古代ローマの大きな凱旋門風の門」とされています。 〈扉の毀れた〉とあるのが、イエス・キリストが壊して入ったからということです。 「彼らは罪も犯さず、中には生前かなりの功績のあった人もいるが、それだけでは十分ではないのだ。なぜなら、彼らはクリスト教の洗礼を受けなかったか、あるいはクリスト教以前に世にあって、十分神を崇めることができなかったからだ」 「だから他の罪のためでなく、その欠如のために私はここへ落ちたし、その欠如のために念願だけはするが希望のない生活をしているのだ」(同 第四歌 P18より) とされ 「私がこの辺獄へ来てまもない頃、クリストがここへ降って、アダム、アベル、ノア、モーゼ、アブラハム、ダヴィデ王、イスラエル、イサクおよびその子供たちやラケレその他旧約聖書にのっている多くの魂を連れだして天堂界へ伴ったことがあったが、それ以前にここから出た者はいない」(同) とあります。 〈旧約の義人たちでさえ、天国へ行けなかった〉と考えられていたということです。 「城門の上には千匹以上の悪魔がずらりとならび、怒り狂って叫んでいた。 『まだ死んでもいないのに、死者の王国を通過するのは誰だ』」(同 第八歌 P36) 「まもなく門は閉じられ悪魔たちは城内に姿を隠してしまった」 「彼らがあんな無礼な態度をとるのはめずらしくはない。かつてクリストがあの地獄門にはいろうとしたときも、彼らは同じことをしたので、その門の扉はクリストによってうち破られ、今ではもうなくなってしまっている」 (同 P37) 〈永遠に閉ざされるはずだった門がなくなった〉ということは、その地獄が〈出ることが不可能ではない〉ということになるでしょう。 「私が以前ここから低い地獄へ下ったときは、まだこの崖は崩れていなかった。それはたぶんクリストが地獄へ降ってアダムやその他多くの魂を救い出したすこし前だったと思う。あの時クリストの地獄降りに感動して谷全体が揺れうごいたので、私は宇宙がまた愛を感じたのかと思ったよ。人々のいうところによると、世界はこのようにして、いく度か混沌へもどるのだそうだ。この崖が崩れたのもそのときだ」(同 第十二歌 P51) キリスト教以前の義人かどうかはわかりませんが、イエス・キリストが冥府に降って、冥府から救出した魂がいたことは確かなのでしょう。 「クリストを信仰しない者で、彼が十字架に懸けられたもうた前にも後にも、この天堂界に昇った人はいない」(同 天堂篇 第十九歌 P401) 「かりに一人の男がいて、その男はインドの岸で生まれたため、クリストのことを説く人も、読んできかす人も、書いてくれる人も発見できなかったから、その男の意志や行為は、すべて人間の理性が導くかぎり、みな良く、行為や言葉に罪はなくとも、彼が洗礼をうけず、信仰にはいらなかったので死ねば罰せられる」 (同 P400) 〈キリスト教の信仰に入らなかったので罰を受ける〉というのです。 「そこで聞こえるものは、不思議なことには、永遠の大気をふるわせる深い溜息だけで、泣き声ひとつ聞こえなかった。その溜息はべつに責め苦をくわえられていない、幼児や男女のおびただしい群が苦悩を吐きだすためにおこるのであった」(同 地獄篇 第四歌 P18) 「少し行くと彼方の岡だけが、ひとつの光で照らされていたが、そこには尊敬すべき人たちの魂が住んでおり、特別の待遇をうけていた」 「その顔には悲しみも悦びの色もみえなかった」(同 P19) 「そこには彼らの居城があったが、その周囲には七重の城壁をめぐらし、一つの美しい流れが流れていた」 「七つの門をはいると、そこに輝く緑の草地があり、多くの古代ギリシャ・ローマの賢者たちがいた」 「アイネイアス、ユリウス・カエサル」、「ソクラテス、プラトー、デモクリトス」、「ターレス」、「ゼノン」、「オルフェウス」、「セネカ」、「プトレマイオス、ヒポクラテス」など (同 P20より) 「賞もなければ、罰もなく、宙ぶらりんの状態にいる」(同 P18) 「私が天堂界にはいれなかったのは、単に私がクリスト教の信仰をもっていなかったという理由からです」(同 浄罪篇 第七歌 P180) 「私はいま辺獄に住んでいますが、そこには呵責はありませんが、暗く溜息にみちみちています。そこには原罪から解放されぬ前に死んだ幼児もいますし、信仰、希望、慈悲の三つの聖なる徳をおさめなかったが、悪徳に染まらず、また他の諸徳をおこなった人たちもいるのです」(同 P181) ここが《辺獄》(リンボ)と言われる所で、〈天国と地獄の間〉とされます。 ギリシャ哲学では、〈エリュシオンと呼ばれる楽園に入る〉とされた賢者が、キリスト教では、ここにいるとされるのです。 「そこはあたり一面に嘆声や渧泣や悲痛な叫び声がみちみちており、それが星のない大気の中にこだましていた」 「苦悩の言葉や自分のあやまちを悔いて自ら自分の身体を打つ音などがいりまじってできた一大轟音であって、それらが、無限の暗黒の空にひびきわたる」 「あれは生きていた時に咎もなく、栄誉もなく世を送った人たちの魂なのだ。あの中には、一部の天使が神に反乱を企てたとき、神に反抗もせず、それかといって忠誠も示さず自分のことだけ考えていた天使たちもまじっている。天はその美が欠けるのを嫌って彼らがはいるのを拒絶し、地獄の底も他の亡者が功名を誇るのをおそれて彼らを受け入れない」(同 地獄篇 第三歌 P14) 「彼らは一切のものから見放されているので、一切のものを羨んでいる。世界は彼らの名が人びとの記憶に残るのを許さず、慈悲も正義も彼らをかえりみない」(同 P15) 〈悪いことはしなかった〉が、〈善いこともしなかった〉ということで、このようになっているとされるのです。 この後、第九圏まで地獄があるとされます。 「墓穴が炎をあげて燃え、墓全体が白熱しており、墓の蓋は半分もちあげられ、亡者の悲痛な声がそとに洩れていた」 「ここにいるのは各派の異端の長老である」(同 第九歌 P41) 「魂は肉体と共に死ぬと考えたエピクロスとその一派の人たち」(同 第十歌 P42) 「第三の環には神に対する暴力者、つまり神を否定したもの」(同 第十一歌 P48) 「彼らの上には空から火の片がゆっくりと降っていた」(同 第十四歌 P60) 「この砂原には永遠の火の粉が降りつづいていたが、そのため砂原は火打ち石の上におかれた火口のように焼けていた。そこで、そこにいる亡者は新しい火の粉を身体から払いのけようとして手をやすめるひまもないほどである」(同 P61) 「彼は神を侮辱したが、いまだにそれを改めようとしない」(同 P62) こうした〈神を否定したことによる火の罰〉は〈神を認めない無神の宗教の信奉者〉にも当てはまることになります。 「もっと下の第八圏は十個の環に分かれており、色手引、追従者、聖職売買者、占師、汚職者、偽善者、盗賊、欺罔的勧告者、争いの種を蒔く者、詐欺師と贋造師がいる」 「第九圏には、いっさいの反逆者が永遠の呵責をうけている」(同 第十一歌 P48) さて、こうした地獄には悪魔がいるとされます。 「いっちまえ、女衒、ここにはお前にだまされるような女はいないぞ」(同 第十八歌 P81) 「聖ツィタの長老をつれてきたよ、こいつを漬けておけ。おれはもう一度もとの所へもどるから。あそこには獲物の貯えがたくさんあるんだ」 「どいつも汚職公吏だ、彼らにかかっちゃ、金銭次第で、否も可になるっていうわけさ」 「ここじゃ聖顔もなんの役にもたたないぞ」 「おれたちにひっかかれたくなかったら、瀝青の上に顔を出すなよ」 「ここじゃ瀝青の下で踊ることになっている。ここへきてもまだ盗めるものなら、盗んでみろ」(同 第二十一歌 P94) 「尻のところを討とうか」 「そうだ、うんと強く打ってやれ」(同 P96) 「私は手下のものを、あちらへやって、身体を瀝青から外へ出しているものがいないか見回らせます」(同 P96―P97) 「こいつの背中に熊手を打ちこんで皮をはいでしまえ」(同 第二十二歌 P99) 「ひっこんでろ、邪悪な鳥め」 「もしお前が跳びこむつもりなら、おれは足で追いかけるかわり、瀝青の上を翼で飛んでいくぞ」(同 P101) 悪魔は罪の魂に罰を与えています。 この地獄の最下層は、聖書や福音書で知られた永遠の炎ではありません。 「その辺一めんは凍結した沼で、それは鏡のようにひかっていた」(同 第三十二歌 P143) 「見ると、氷に首から下が閉じ込められている悩める亡霊たちの顔は蛙のようにまっさおで、彼らが歯をがちがちさせる」(同 P144) 「亡霊の身体が全身氷におおわれ、まるでガラスの裏についた藁屑のように透視できた」(同 三十四歌 P152) 「彼はその身体を胸半分まで氷の外に出していたが、巨人をその腕と比べるよりは、ダンテと巨人を比べるほうがやさしかった。そのくらいルチフェロは巨人であった」 「そのとき、ルチフェロが翼をばたばたさせたので三つの風が起こった。このコチトの氷原を凍らすのもこの風であった」 「ルチフェロの三つの口は一人ずつの罪人をくわえ、歯で砕いていたが、そのありさまはまるで砕麻機のようであった。このようにして、彼は三人の極悪人を呵責していたのである。三人の中でいちばん残酷に噛みくだかれ、ときには背中の皮が破けることもあったのは、前向きの顔にある口にくわえられているジュダだった」(同 P153) 最下層は氷の地獄で、キリスト教ということで、最大の罪人とされているのは、イエス・キリストを裏切ったユダです。 この頃のキリスト教特有のものかも知れません。 「すべての悪が天から憎まれているのは邪悪を目的としているからであるが、その目的をとげるために暴力または詐謀を用いる。そのうち、詐謀は人間特有の悪で神からことのほか嫌われている。そのため詐欺漢は一段と低い場所におかれ、いっそうひどい苦悩をあたえられている」 「自分に対する暴力者、つまり自殺者や自分で自分の財産をつかいはたしたものなどがいる」 「自然に反する行為、男色や同性愛をおこなったものなどがいる」(同 第十一歌 P48) 「人間は自然の中に人生の糧をもとめ、他人の幸福を増進すべきであることがわかるだろう。ところが高利貸は別の道を歩き、自然そのものとその技術を軽んじ、望みを他においたのだ」(同 P49) 「鳥占師」(第二十歌 P91) 「占星学者」、「針、杼、紡錘を捨てて占い師となり」(同 P92) 「私が錬金術をおこなった」(第二十九歌 P132) ユダヤ教と同じで、自殺者、同性愛者、高利貸しが罪重き者となっています。 占い師も罪深いとされています。 「いまから後は最後の審判のラッパが鳴るまでは、彼は目をさまさないだろう。そのとき彼らはみな悲しい墓場へたちもどり、自分の肉と象をつけて、そのラッパの響きを聞くのだ」(同 第六歌 P27) 「ひとは完全になればなるほど、快感や悲哀の感じ方も完全になるそうだ。しかし呪われているこれらの者はけっして完全に達することはない。だが審判後は今よりはすこし完全に近づくともいえるだろう」(同 P28) 「最後の審判がヨサファットでおこなわれて、彼らが上の世界に残してきた肉体を再びつければ、これらの墓の蓋はみな閉められるのだ」(同 第十歌 P42) 「私たちがまるで遠視眼のように遠くのものを見通すことができるのは、神が私たちを照らすからだ。しかし近くのものについては私たちの知恵はむなしい。もし私たちに告げる者がいなければ上界のことはわからない。だから最後の審判の日がきて、未来の門が閉ざされるなら、私たちの知識はすべてむなしくなる」(同 P45) 「この地獄界では憐憫をかけないのが、真の憐憫なのである。神の裁きを見て心を痛めることくらい愚かなことがあるだろうか」(第二十歌 P90) 「他の地獄圏ではいざ知らず、ここには死んでいない人の魂も来ることがあるのです」(同 第三十三歌 P150) 〈最後の審判まで眠る魂もいる〉というのです。 〈肉体を再びつける最後の審判〉で、〈黄泉としての地獄の蓋は閉じられる〉となっています。 〈地獄においては、憐憫をかけることができない〉とされています。 また、〈生きながらにして地獄に来る人もいる〉とあります。 《最後の審判》と《復活》が結び付けられています。その時までは〈その苦しみはまだ本物ではない〉のです。 その後に〈預言されていた永遠の苦しみ〉が来るとされているのです。
by aramu
| 2014-04-15 15:23
| スピリチュアリズムと宗教
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